デイケア/和田敏子

 先日のTV番組で、高知の日曜市の紹介をしていた。日本一の城下市が追手門からまっすぐ東に延びている。大きなクスの木の木陰に沿って片側2車線を東西に1?程、約400もの出店数は、まさに日本一の市である。市の誕生は江戸期、元禄3年(1690年)ということから、まさに庶民の生活市として300年以上もの長い歴史があり、土佐の誇りである。

 午前の用事も終わったことだし、そうだ!久しぶりに日曜市をぶらぶら散策してみようと、急に思い立ち高知城の近くにバイクを止める。追手門からスタート。左側にはクスの木の緑が風になびき、気持ちが良い。来て良かった。右に古物や打ち刃物、左に大好きな山野草や季節の花の苗木が並んでいる。そういえば15年程前に購入した庭のハナミズキも、今は4〜5mの高さになり、春にはさわやかな白い花に心も和む。今は萌黄の葉も瑞々しい。北側には娘が6年間通っていた学び舎があるが、母として催事に行った記憶も薄い。その頃、4年間看護学校に通っていた私は、娘に家事の手伝いもしてもらい、家族にも我慢をしてもらったこともあっただろうと今に思い、感謝する。そんな過去のことを思っていると、早くもオーテピアの角の信号に差し掛かった。今人気の芋やさんの前には行列が出来ており、TVで放映していた通りだ。以前と異なり、最近では金髪の外国人夫婦や、台湾・韓国・中国等の異邦人も多く、新港が出来て観光客が増えたこともあるようだ。一日17000人もの人が行き交うという。また、日曜日ということもあり、県外客らしき人の方言も、受け答えから聞き取れる。面白いのは、外国人が自国語で問いかけ、おばちゃんが土佐弁で答え、双方、頷き合っているが、果たして解っているのかな? などとつい思ってしまう。

 今の変わりゆく世の姿を江戸時代の人々が観たら、びっくり仰天だろう。お城下の日曜市周囲のビル街、アスファルトの路面、行き交う車、スマホを操作して歩く人々etc...。つい想像してしまった。

 両側の店の野菜や果物、花苗等を見ていると、早くも終点(?)いや、日曜市1丁目の端、駅前電車通りまで到着した。復路でこれと決めていたラッキョウや魚の乾物、花苗を購入し、帰路につき、元の日曜市6丁目にゴール。バイクを走らせていると、今は亡き母と日曜市に行き、帰りに母の荷物を持ち帰ったことなどを懐かしく思い出し、胸が熱くなってしまう。

 さあ…、家に帰ったら花を植え、ラッキョウを漬けよう…。忙しいよ。


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