総務部/大峯永愛

 冬の晴れ渡る空を見上げると、ふと蘇る思い出があります。
23歳の冬、中国の友人の結婚式にお呼ばれした私は初めて海外を訪れることになりました。中国の瀋陽(しんよう)、親日派の多い大きな都市です。現地ではご実家に滞在させてもらうこととなり、2週間の有休を取っていざ飛び立ちました。

 初の国際線、英語が通じない現地の空港、早くもスラれかける荷物たち。なんとか脱出できた私は友人一家に無事回収され、ご実家へと到着。
着くやいなや「さぁやるよ!」とお母様の声で突然の餃子作りスタート。茹で上がった水餃子は感動するほどぷりぷりもちもちで、豪勢な手料理と高級酒に舌鼓を打ちながら話に花を咲かせた初日の夜でした。

 翌日、祖父母に叔父叔母、いとこはとこ…次々にご親族が現れて『皆でワイワイする』というイベントが発生。夫婦別姓なので『山田さんちの鈴木花子さん』みたいな紹介がややこしく、中国語に明るくない私はもう誰が誰だか状態に。ロボットのように「ニーハオ」と「シェイシェイ」のみで乗り切っていたのですが、どうやらこの間に私は「咪咪(ミーミー)」というあだ名をもらい、「もはや親族」の称号を得て、ボディーガードが付くことになったようでした。なぜ。

 その日から、どこへ行くにも私の周辺四方には常にボディーガードが配置されました。四神です。シフト制のようで、ふと現れては入れ替わるたび「ありがとう…誰?」と不安になりましたが、ずっと青龍だった叔母とは仲良くなれました。
瀋陽は何を食べても美味しくて、屋台の羊肉串(焼き鳥の羊ver.)は毎日買いに行く程どハマり。またデパートでは値切るのが慣例だったため「多少銭(いくらですか)?」を習得して使いまくりましたが、返ってくる答えが毎回わからないので一度も値切れずに終わりました。

 1週間が過ぎたころに『上海で挙式する』ことが判明し(言うの忘れてた!と友人)、驚きとともに私の瀋陽旅は突如終了。えぇ。さよなら瀋陽…。
上海で素敵な結婚式を終えた後は、連日街を散策しました。かの有名な夜景は噂に違わず美しかったし、レストランではどう食べるのか分からないサイズのカニなどと格闘しつつ、海の幸をたっぷり堪能。
最後はご両親の熱烈なハグで見送られ、私の中国VIP旅は幕を閉じました。
人の温かさや街の風景、美味しい匂いを思い出してはまた感動したりくすっと笑ったり、お腹が減ったり。
毎年、思い出に幸せを貰っている私です。


UP