私は、小学時代に6度の転校を経験し、県内で一番生徒数の多いマンモス校から田舎のアットホームな学校まで、いろんな学校に通ってきた。
中でも面白かったのが、大豊町にある山奥の学校だ。

その学校は、今となっては珍しい木造校舎。全校生徒5人。姉と私が転入し、7人となった。

まず新鮮だったのは、合併教室だ。転入後、 姉は同学年の生徒がおらず、私と一緒のクラスになった。毎日、同じ教室で一人の先生が2学年の授業を同時並行して行っていた。大好きな姉と家でも学校でも一緒に居られて、 毎日楽しくて仕方なかった。


夏になると水泳の季節だが、田舎はプールの準備も大変だ。掃除の前に大仕事があるのだから。それは、水底に住み着いているヌシ、 ガマガエルを追い出すこと。その地域では、 両手大以上もある特大のガマが道の真ん中に佇み、車の通行を邪魔していることが多い。 そして彼らは、安心安全な学校のプールを格好の住処にしているのだ。毎年、プール開きの日はスコップを片手に全校生徒数名が集合し、ガマをスコップに乗せ畑への引越し作業を行っていた。

田舎の学校では、授業も自然を生かした授業が多い。夏は何かと理由をつけて川へ行ったし、冬は大雪が降るため雪遊びの日が多い。春や秋は裏山や地域の人の畑で授業をすることもよくあった。そして授業が終わる と、全員が吉野川へ駆けて行き、サバイバルゲームやかくれんぼ、鬼ごっこなど川から山を走り回って遊んだ。クタクタになって帰る と、薪で焚いたアツアツの五右衛門風呂が用意されており、祖母と一緒にワイワイ言いながら一日の疲れを取るのだ。

結局、2年足らずで再び街の方へ引っ越すこととなり、残念ながら、私たちが出ていって間もなく学校は廃校となってしまった。しかし、ドがつくほどの田舎で過ごしたあの日々は、昭和の時代にタイムスリップしたようで、私の中でいつまでも輝いている。

昨年、久しぶりに学校を訪れてみた。窓から教室をのぞいてみると、なんと床に畳が敷き詰められていた。どうやら、「みどりの時計台」という名の観光宿泊施設になったようだ。母校が、廃校になっても尚その形を維持し、更に宿泊して懐かしさを存分に味わうことができるなんて、こんなに嬉しいことはない。いつか、一緒に学んだ友とともに母校で合宿をしてみたいものだ。


相談支援室/渡邊紗織


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