プラタナスの風(ブログ)

1階病棟/廣瀬 彩

 木々が少しずつ色づき始め、季節の移り変わりを感じさせられるそんなある日。母から、実家の物を断捨離して欲しいと連絡があり帰省する。

 実家に帰ると、あちらこちらに物が山積みになっている。必要な物と不必要な物に分けてと頼まれたが、どこから手を付けたらいいのかわからず立ちすくんでいたところ、大きな衣装ケースの中にたくさんのアルバムが詰められているのがふと見えた。そのケースを開けてしまった私は母から与えられた課題である断捨離はそっちのけで、アルバムを手に取り開いてしまう。母も私の隣に座り、「本当に寝ん子やったき、日中は必死になって運動をさせに行ったのに…全く寝んかったー」と言う。よく母と祖母に連れられて公園に行き、裸足で走り回っていたよう。しかし、子どもの体力は無限大で帰宅後もその力を発揮する。母たちを困らせていたやんちゃな子であった。

 また、アルバムの所々にメッセージが付けられていた。例えば、「5ヶ月腹ばいができるようになったよ!」や臨月で歩くのがやっとの母の前を2才頃の私が満面の笑みで掛け走る写真に対して「あやにはついていけません」と言ったメッセージなど。私はこんな子どもだったんだと知れたり、くすっと笑ってしまうようなメッセージもあったりとアルバムをめくる手を止められなかった。

 今や、簡単にたくさんの思い出をデータとして保管することができる。保管場所も取らない上に、スマホであればどこにいても直ぐに見返すことができるため大変便利ではあるが、実際の厚みと重みのあるアルバムを手に取りホコリを払いながら、少し色褪せたり、引っ付いたりしているページをゆっくりめくることで時の流れを感じられるのもまた味があってよい。実際のアルバムは年月を経て古さを感じさせようとも、その思い出の数々は色褪せることはない。

 もし、将来自分の家庭ができた時には、自分の子どもと一緒に笑いながらアルバムをめくることができるように、日常の何気ない小さなしあわせの瞬間をたくさん残していけたらいいなと思えた。くすっと笑えるような言葉やぬくもりで包み込んであげられるような言葉を添えて。

 ほっこりとした気分でアルバムを見ていると、1階にいる母から「アルバムばっかり見ずに早く断捨離してよー」と声が聞こえてくる。「はーい」と返事をしつつも、私はアルバムの次のページをめくった。


相談支援室/近藤和貴

 私がバスケットボールを始めたのは小学3年生の夏頃でした。そこから、小・中・高・大学と続けましたが社会人になり全くバスケとは無縁の生活を続けています。小学校時代は、下校後友達と毎日遊んだり自宅に招き一緒にゲームをしたり、夏休み中の学校に潜入し蝉取り合戦をしました。まぁ時々勤務の先生にバレて蝉を先生の顔付近に近づかせ驚かしその隙に逃げるというタチの悪い事をしていました(その後全力で追ってくる先生には敵わず怒られました)。

 そんな中、定期的に体育館でボールが跳ねる音、バッシュと床の摩擦音、多少やかましい程の声でバスケの練習を頑張る上級生達に圧倒され、練習を外から見入る事が多々ありました。何日か同じ事を続けていると上級生から「一緒にやってみん?」と誘われ、体験で参加してみました。

 見学でバスケの魅力に気づかされた私は正式にミニバス(ミニバスケットボールクラブ)に入ることを決めました。練習を重ねるにつれできる技やシュートが打てる距離も長くなりその頃からどっぷりとバスケに没入しました。休日でも友達とバスケのリングがある公園に行って一対一をしたり、友達と遊ぶことができない日は父と公園に行きシュート練習等に付き添ってもらっていました。小5〜6年に2年連続県選抜に選ばれたのは自分の実力が認められたようでとても嬉しかった事を覚えています。それと同時に全国レベルのバスケを知れたのもいいことでした。県選抜の全国大会で、私達の選抜チームではほとんど歯が立たず、私も上手にプレイすることもできず、早々に破れてしまいました。負けてしまった後には、父に無理を言って大会が終了する最後まで残らせてもらい見学していました。同学年なのにプレイスキルや判断の速さに大きな違いがあり大きな収穫になりました。

 その後の自身のチーム練でより一層やる気に満ち溢れた私は、他にもう3名自身のチームから選抜に選ばれていた仲間と前以上に練習に励みました。小学6年生時は、負けたくない思いが強く高知県大会で決勝まで駒を進めましたが惜しくも結果は2位。全国大会には出場できませんでした。

 最近はバスケも盛り上がりを見せており、男子バスケ日本代表が自力でパリ五輪を掴んだのは48 年ぶりです。更に今回のワールドカップで2勝を上げて、オリンピックの自力出場権を勝ち取ったのも初めてです。

 ふと思い出に浸りながら文章を書いていると、書き過ぎていました。中・高・大のバスケの思い出はまた今度の機会に報告しようと思います。思い出しているとバスケ欲が高まってきたので、今度友達と一緒に体育館でも借りて久しぶりにバスケをしに行こうと思います。


医事課/綾 智子

 私が瀬戸内しまなみ海道の橋を、ほんの少しの距離ですが、初めて自転車で走ったのは20年位前になります。広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」の愛称で親しまれている「西瀬戸内自転車道」が完成したのは、1999年5月1日。原動機付自転車及び自転車・歩行者専用の道路が整備されている橋としてかなり話題になっていました。

 当時、愛媛県松山市に住んでおり、友達と遊んでいる時でした。「しまなみ、自転車で走ってみたくない? 今から、行ってみん?」と友達が言いました。「行ってみたいけど、今治市までどうやって行くの?」と私が聞くと、「ここからずっと自転車」と友達がさらっと言いました。初めは驚きましたが、しまなみ海道を走ってみたい、自転車で松山市から今治市まで行けるなら行ってみたいなと私は思い、そして私達3人の思いが一致して、その日の午後1時頃に、通学用の自転車に乗り松山市を出発しました。

 松山市から今治市まで、国道196号線を走りました。左手に穏やかな瀬戸内海を眺めながら、時には休憩して、ひたすら自転車をこぎました。季節は真冬、日が暮れる時間が早く、少し暗くなってきており、私達は少し不安になっていました。かなり長い時間走ったけれど、橋が見えてきません。スマートフォンが無い時代でしたので、今いる場所がどこなのかインターネットで検索することもできません。道路標識だけを頼りに、ただただ自転車をこぎました。そして、「しまなみ海道」という標識が見えた瞬間に、「あと少しだ!」とみんなで叫んで、橋を目指しました。

 そして橋のもとにようやくたどり着き、自転車専用道路に入り橋までの坂を上りきりました。そうすると、目の前には今治市と大橋をつなぐ約4kmの大きな来島海峡大橋が見えました。時間があまりなかったため、少しの距離だけ走り、立ち止って橋の上から夕日を見ました。目の前には、いくつもの島があり、その間に潮流が見え、今までに見たことがないとてもきれいな景色でした。疲れたけど、とても楽しかったことを覚えています。ちなみに、帰りは心配した友達のご両親が迎えに来てくれて、車で帰りました。


栄養管理室/楠目知加

 みなさんは『夢をかなえるゾウ』という本をご存じですか?
私は10年ほど前に職場の友人に勧められて、手に取りました。関西弁の会話形式で進む内容に、どんどん読み進んだ記憶があります。2008年にベストセラーとなり、今では続編も加わって4部作になっています。

 さて、内容を簡単に紹介すると、ある日、ダメなサラリーマンの前にクセの強い神様『ガネーシャ』が現れ、偉人たちも行ってきたという課題を順に29個出してゆき、主人公は本当にこんなことで…と疑問を抱きながらこなしていくなかで成長していく…というものです。

 ここで『ガネーシャ』って?
いまさらながら、いったいどんな神様なのだろうと思い始めました。この作品では、コテコテの関西弁を操るゾウの顔をした、あんみつ大好き、ヘビースモーカーでクセの強い神様として登場します。

 実際には、困難やあらゆる障害を取り除いて福をもたらすとされる、豊穣・智慧・商業の神様で、インドで広く崇敬されており、何かを始める前には必ず礼拝するのだとか。
その姿は、4本の腕をもち太鼓腹の人間の体に、片方の牙が折れたゾウの顔をしています。わたしが見たものは、派手なピンク色をしていました。

 そして、なぜゾウの顔を持つのか?
諸説あるうちのひとつの神話によると、ヒンドゥー教で世界の破滅と再生を司る神様であるシヴァの妻・パールヴァティ―が、自分の垢を集めて人形を作り、そこに命を吹き込んで息子としてガネーシャを誕生させました。

 パールヴァティはガネーシャに、沐浴の間はだれも入れてはならないといいつけて、見張りをさせます。そこへシヴァが帰ってきますが、ガネーシャはそれが父であるとは知らず、母のいいつけを守ってシヴァを入れませんでした。するとシヴァは激怒し、なんとガネーシャの首を切り落として遠くは投げ捨ててしまいます。

 後にガネーシャが自分の子だと知ったシヴァは、投げ捨てた頭を探しにでますが、どうしても見つけられませんでした。そこで、最初に出会ったゾウの首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付けて復活させた、というものです。

 なんとも予想外…。知らなくてもよかったような、想像もできないお話でした。
ゾウの顔の理由はさておき、まだ読んでいない続編を読んでみようかな。みなさんももし興味があれば手に取ってみてください。


2階病棟/稲見研二

 自分は子供の頃から海に行くことが多かったことから、釣りや海水浴・磯遊びをすることが好きなのですが、その中でも一番好きなのは磯遊びです。磯遊びとは干潮時に一時的に出来る「潮だまり」とよばれる水辺で磯の生き物を観察することなのですが、釣りや海水浴ほど荷物を準備する必要のない磯遊びは気軽に出かけることができますし、運が良ければ水族館や図鑑でしか眺めることの出来なかった生き物とも触れ合うことのできるので、自分にとって磯遊びは手軽に自然の中で遊べるアウトドアレジャーのひとつとなっています。

 自分の好きな磯遊びスポットはいくつかあるのですが、市内からの手軽さや生き物の種類の多さから、おすすめしているのは塩谷海岸(香南市夜須町)の海です。市内から車で1時間程度というお手軽さが非常に良く、浜からすぐにサンゴを拝むことが出来るうえに干潮時には遠浅の海岸に巨大な磯だまりがいくつも出現します。柏島等と比べると魚影は少ないですが塩谷海岸には生き物の住処ともいえる海藻が多くみられるので甲殻類やウミウシ、時にはタコやウツボなども見ることができ生き物の種類の多さはかなりのものがあると思われます。

 網を二つ持って海藻を挟みこむ形でガサガサっとするといろいろな生き物が採れますが、管理された海水浴場とは違い磯場には危険がつきもので毒や牙・棘を持つ生き物や時には訳の分からない形状の生き物もいます。皆さんは「ゾエア幼生」って知っていますか?夏の海に大量発生する体長わずか3mmくらいのエビ・カニの子供みたいなものなのですが、体に鋭い棘が生えていて、これが刺さると虫刺され状態になります。自分も気づかないうちに刺された経験が何度もあるのですが、これが衣服の中に入ると大変なことになります。別名が微笑ましい名前なので良かったら調べてみてください。

 暖かくなってきた今日この頃、今年はどこへ出掛けようか、何をして遊ぼうか 計画を立てている人も多いはず。これから計画する方は、磯遊びを楽しんでみてはいかがでしょうか。子どもから大人まで楽しめる磯遊びは珍しい海の生き物と遭遇できるチャンスがいっぱいです。大人も童心に帰って磯あそび体験をしてみませんか?


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