プラタナスの風(ブログ)
自然を感じてみて
相談支援室/西村萌花
この度、バトンタッチを書くことになりました、相談室の西村です。土佐病院に入職してはや1年が過ぎました。相談室では今年の4月からも新たにひとり入職し、時の流れは早いものだと感じます。後輩もでき、「もっと責任感と緊張感を持って動いていかなければ!」と決意している次第です。
さて、今回のバトンタッチを受け、何か題材はないかなと思案してみましたが、ゴールデンウイークのことくらいしか思い浮かびませんでした。なので今回のバトンタッチでは、今年のゴールデンウィークをテーマにお話させて頂きます。始めにお伝えしておきたいのですが、連休なので何か特別なことをした、というのではありません。話を戻しまして、私は連休中実家に帰省しておりました。実家は高知の田舎の方で、自然に囲まれたところです。たまに帰るくらいがちょうどいいかな、と思っております(笑)。
帰ってきてまずは山登りをしました。叔母に誘われて始めた山登りですが意外にも楽しく、少しずつ沼にハマっております。登った山は地元一帯を見渡せるくらいの高さで、往復2時間半ほどかけて登ることができました。道中、苔だらけのゾーンがあり、ジブリの様な世界観で印象に残っています。また、鹿が走り去っていったところも目撃できました。「野生の鹿も本当にいるんだな」などと稚拙な感想を抱いたことを覚えております。
山を登り終え家に帰りつき、夕ご飯を食べた後、焚火をしてみようと思い立ちました。前々からキャンプを趣味にしようと画策しており、その第一歩としてソロ用の小さな焚火台を購入していたのです。夜でしたが天気も良く、星も綺麗に見えており、なかなかいい体験でした。また、じゃがいもと玉ねぎを焼いてみたのですが、とても上手に焼けて、親に自慢しながら食べたことも印象に残っています。一点だけマイナスポイントがあるとしたら、消火後の焚火台は煤だらけでしたので、掃除がとても大変そうだったことです。
振り返ってみても、自然を感じよう!と思い立って行動することはなかったように思います。家に帰ってゲームをするくらいしかやる事が無いと思っていましたが、自分を癒すためにも定期的な自然体験が必要であると思い直しました。満たされた気持ちを初めて感じ、これからも頑張ろう、という気合いが入ったのではないかな、と感じております。
小さな幸せ
栄養管理室/福井奈々
春の息吹を感じられるようになってきた今日この頃、みなさんはどのような日常をお過ごしでしょうか。私は今、3人(旦那も入れて4人)の育児をしています。3人も子どもがいれば「毎日大変でしょう、すごいね」と言ってもらいますが、3人、4人の育児をしている友人が何人もいて、私の周りでは少子化の世の中が嘘のように感じられます。確かに幼い子どもが3人もいれば毎日騒がしく、時間が過ぎるのはあっという間で1日24時間じゃ足りない! と思うこともあります。ですが、だんだんと自分なりに気の抜き方、手の抜き方が分かり子育て観は変わってくるもので、下にいくほど大雑把な育て方になっているような気がします。仕事から実家に帰ると、まず末っ子が「ママ、おかえりー」と一番に迎えてくれます。毎日のように子どもたちの面倒を見てくれている両親の疲れ果てた姿を目にした時は感謝と申し訳ない気持ちでいっぱいになりますが、帰宅して子どもたちの元気な声が聞こえると、今日も一日元気に過ごせてよかったと安堵する瞬間でもあります
3人いれば性格も三者三様で、得意なことも興味のあることもそれぞれ違っていて個性豊かです。10歳になった長女は、ダンスが大好きで音楽がかかると自然と踊っています。割と上手に踊るので感心するのですが、三半規管が異常に弱くターンをすると気持ち悪くなってしまうのが可哀想でなりません。6歳の長男はこの4月から小学生になります。私も主人も人見知りなので誰に似たのか分かりませんが、とても人懐っこくて誰とでもすぐに打ち解けてしまいます。愛想がいいのか幼いころから全然見知らぬ人からよく声を掛けられたりと、なぜか不思議と人を引きつけるようです。3歳の二男はまさに末っ子らしさ全開の甘えん坊で、くっついて離れません。それでいて誰よりもヤンチャで危なっかしいので、こちらとしても目が離せません。長女はどうしても妹が欲しかったようで、3人目ができたと分かった時、神様に「どうか女の子でありますように」と強く願っていました。実際は男の子だと伝えると、ショックで口が開いたまま固まってしまったあの顔を私は今でも忘れられません。とは言え、可愛がってくれているので、ついつい私もお世話を任せてしまいます。3人そろって全然言うこと聞かないし、怒ってばかりの毎日ですが、今この一瞬の子どもたちの姿はその時にしか味わえない大切な時間だと思い直し、毎日反省しながら3人の育児に奮闘しています。子どもたちと過ごす何気ない日常がふと振り返ると小さな幸せに感じ、これからも子どもたちが笑顔で元気でいてくれること 、そしてそれぞれの成長を見守ることが私の生きがいであり楽しみです。
両親への感謝
作業療法センター/野村太紀
小・中学校の時、授業で両親へ感謝の手紙を書いたことを思い出しました。高校以降、そのような機会もなく、今を過ごしているので、この場を借りて両親へ感謝の言葉を伝えられたらと思います。
母は心配性で、小学生の時、私が怪我をすると私より痛そうな顔をして駆け寄り心配してくれました。その姿を見て、(そんな大事じゃないに)と思いつつ、大切にされているだなぁと子供ながらに感じました。
父は、笑顔が多い人でよく笑っている姿を思い出します。基本的に放任主義でなので、私の考えや行動を否定することはありません。相談をするといつも笑って「やってみいや」と言っていました。無責任だなと感じていましたが、今は自分から行動をすることが苦手な私の背中を押してくれていたと思います。
そんな両親のことを話すエピソードとして、私が小学生の時、交通事故にあったことを思い出します。事故後すぐに母が来てくれ、一緒に救急車に乗り「大丈夫やきね」と泣きながら励ましてくれました。病院に搬送され、休んでいると遅れて父も到着。さすがに焦った表情をみせていましたが、私が元気な事を知ると「何も無くて良かったわ」と笑顔で話していました。二人を見て安心したのか、私は大泣きをしてしまいました。
最近は両親と会話をすることは少なくなりました。何となくの気まずさを抱えていましたが、思い切って両親を食事に誘ってみました。二人は驚いた様子でしたが、「行こ行こ!」と喜んでくれました。私は恥ずかしい感情を持ちながらも、喜んでいる姿を見て嬉しく思いました。
久し振りの家族揃っての食事はいつもより美味しく感じ、楽しいひと時でした。食事中、「あの時のこと覚えちゅうか」と私の小さい時に行った動物園や旅行の話、何気ない日常の場面などを両親が笑顔で話していました。よくそんなことを覚えているな?と関心しつつ、改めて大切にされているだなと知るとても良い機会となりました。
それ以降、少しずつ家族間の会話も昔ほどではありませんが増えました。次は、温泉旅行にでも誘ってみようかと考えています。
まだまだ、両親へ直接感謝の言葉を伝えるのは恥ずかしい。その代わり、美味しいご飯や楽しい旅行などに自分から率先して誘っていこうと思います。これからも笑顔で過ごし、たくさんの思い出を一緒に作っていきたいです。
喧嘩をすることもありましたが、本当に大切に見守られたことに感謝しています。これからは迷惑をかけず、二人が安心して過ごせるよう、私も成長していきたいと思います。
アルバム
1階病棟/廣瀬 彩
木々が少しずつ色づき始め、季節の移り変わりを感じさせられるそんなある日。母から、実家の物を断捨離して欲しいと連絡があり帰省する。
実家に帰ると、あちらこちらに物が山積みになっている。必要な物と不必要な物に分けてと頼まれたが、どこから手を付けたらいいのかわからず立ちすくんでいたところ、大きな衣装ケースの中にたくさんのアルバムが詰められているのがふと見えた。そのケースを開けてしまった私は母から与えられた課題である断捨離はそっちのけで、アルバムを手に取り開いてしまう。母も私の隣に座り、「本当に寝ん子やったき、日中は必死になって運動をさせに行ったのに…全く寝んかったー」と言う。よく母と祖母に連れられて公園に行き、裸足で走り回っていたよう。しかし、子どもの体力は無限大で帰宅後もその力を発揮する。母たちを困らせていたやんちゃな子であった。
また、アルバムの所々にメッセージが付けられていた。例えば、「5ヶ月腹ばいができるようになったよ!」や臨月で歩くのがやっとの母の前を2才頃の私が満面の笑みで掛け走る写真に対して「あやにはついていけません」と言ったメッセージなど。私はこんな子どもだったんだと知れたり、くすっと笑ってしまうようなメッセージもあったりとアルバムをめくる手を止められなかった。
今や、簡単にたくさんの思い出をデータとして保管することができる。保管場所も取らない上に、スマホであればどこにいても直ぐに見返すことができるため大変便利ではあるが、実際の厚みと重みのあるアルバムを手に取りホコリを払いながら、少し色褪せたり、引っ付いたりしているページをゆっくりめくることで時の流れを感じられるのもまた味があってよい。実際のアルバムは年月を経て古さを感じさせようとも、その思い出の数々は色褪せることはない。
もし、将来自分の家庭ができた時には、自分の子どもと一緒に笑いながらアルバムをめくることができるように、日常の何気ない小さなしあわせの瞬間をたくさん残していけたらいいなと思えた。くすっと笑えるような言葉やぬくもりで包み込んであげられるような言葉を添えて。
ほっこりとした気分でアルバムを見ていると、1階にいる母から「アルバムばっかり見ずに早く断捨離してよー」と声が聞こえてくる。「はーい」と返事をしつつも、私はアルバムの次のページをめくった。
バスケがしたいです……!!
相談支援室/近藤和貴
私がバスケットボールを始めたのは小学3年生の夏頃でした。そこから、小・中・高・大学と続けましたが社会人になり全くバスケとは無縁の生活を続けています。小学校時代は、下校後友達と毎日遊んだり自宅に招き一緒にゲームをしたり、夏休み中の学校に潜入し蝉取り合戦をしました。まぁ時々勤務の先生にバレて蝉を先生の顔付近に近づかせ驚かしその隙に逃げるというタチの悪い事をしていました(その後全力で追ってくる先生には敵わず怒られました)。
そんな中、定期的に体育館でボールが跳ねる音、バッシュと床の摩擦音、多少やかましい程の声でバスケの練習を頑張る上級生達に圧倒され、練習を外から見入る事が多々ありました。何日か同じ事を続けていると上級生から「一緒にやってみん?」と誘われ、体験で参加してみました。
見学でバスケの魅力に気づかされた私は正式にミニバス(ミニバスケットボールクラブ)に入ることを決めました。練習を重ねるにつれできる技やシュートが打てる距離も長くなりその頃からどっぷりとバスケに没入しました。休日でも友達とバスケのリングがある公園に行って一対一をしたり、友達と遊ぶことができない日は父と公園に行きシュート練習等に付き添ってもらっていました。小5〜6年に2年連続県選抜に選ばれたのは自分の実力が認められたようでとても嬉しかった事を覚えています。それと同時に全国レベルのバスケを知れたのもいいことでした。県選抜の全国大会で、私達の選抜チームではほとんど歯が立たず、私も上手にプレイすることもできず、早々に破れてしまいました。負けてしまった後には、父に無理を言って大会が終了する最後まで残らせてもらい見学していました。同学年なのにプレイスキルや判断の速さに大きな違いがあり大きな収穫になりました。
その後の自身のチーム練でより一層やる気に満ち溢れた私は、他にもう3名自身のチームから選抜に選ばれていた仲間と前以上に練習に励みました。小学6年生時は、負けたくない思いが強く高知県大会で決勝まで駒を進めましたが惜しくも結果は2位。全国大会には出場できませんでした。
最近はバスケも盛り上がりを見せており、男子バスケ日本代表が自力でパリ五輪を掴んだのは48 年ぶりです。更に今回のワールドカップで2勝を上げて、オリンピックの自力出場権を勝ち取ったのも初めてです。
ふと思い出に浸りながら文章を書いていると、書き過ぎていました。中・高・大のバスケの思い出はまた今度の機会に報告しようと思います。思い出しているとバスケ欲が高まってきたので、今度友達と一緒に体育館でも借りて久しぶりにバスケをしに行こうと思います。

